相手を「信用し、大事に思うこと」と「期待すること」について
誰かに対して怒ってしまった時の根本的な理由として、「相手に対し、勝手に期待し過ぎてしまったからだろうな」と思うことがあります。
相手を信用しているがために、「きっと彼(彼女)は○○してくれる(言ってくれる)だろう」という期待をしているのだと思います。
なので、期待通りの反応が得られなかった際は、「なんで?」と思うと同時にストレスとなり、怒ってしまう、と。
じゃあ期待しなければいいのでは?となるのですが、それは嫌で。
なぜか。
それは、「自分が相手を信用している」ということを否定したくないから、なんじゃないかなと。
事実、自分はまだ相手を信用しているし、どこかできっと「本当は、、、」とまだ期待もしていて。
でもそれって詰まるところ「相手を信用している自分」を捨てきれない、という場合もあるんじゃないかなと。
相手のことを信用し大事に思っていることと、期待するということとを切り離すことができないというか。
で、その後に待っているのは、そこからもうその相手に期待することをやめるか、引き続き期待し続けるか、どちらが双方にとって良いか、その判断のタイミングも含め。
ただ、期待するのをやめる、と言っても別にじゃあそのあとは信用しなくなるとか、大事じゃなくなるとか、必ずしもそれらすべて正負合致していなければいけないかというと、そういうわけではないと思っていて。
信用してるし大事だけど、期待はしない。
無償の愛?とも少し違うけど(親子のそれと比べると、という話)、雰囲気的には同じグループで、親子とか血の繋がりがあるバージョンではなく、友人知人バージョン。
まぁ、「彼(彼女)はそういう人なんだな」と表面的に思うことは簡単でも、その後付き合っていく中で、「信用&大事」と「期待しない」をどう自分が腹落ちし、共存させていけるのか、と。
まだまだ未熟だなーと感じるとともに、示唆に富み、学び多き出来事だったなと思い、本エントリーを書きなぐり、就寝へ。
「忙しい」の正体とは?
「忙しい」という言葉は意識的に言わないようにしています。
好きじゃないので。
自分は今キャパオーバーです、と言っているのと同じ。
「限界です」と言うのが嫌だ、ということ。
で、"限界"って当然人それぞれですよね。
まったく同じ行動をしても、忙しいと感じる人とそうでない人といるわけで。
例えばオバマさんの忙しいや、孫さんの忙しいは、脳と身体の活動量的な意味の絶対値で比べると、ぼくらの忙しいとは比じゃないくらいだと思います。
移動しながら食事や情報収集や連絡などなど、人とのアポや出席するイベントなどがギシギシに入っているのだと思います。
ちなみに「忙しい」という漢字は「心を亡くす」と書きます。
これもまた嫌いな要因だったりします。
今、別に心を亡くすほどじゃないし、と。
というわけで、個人的に考える「忙しい」の正体は、
(1)自分の限界の設定
(2)相手に対する頑張ってるアピール
のどちらかではないかなと。
たまに「忙しい」を理由に「連絡できなかった」みたいな人がいますが、あれは「できなかった」のではなく「しなかった」だけです。
この御時世、電話もメールもFacebookもLINEも、1分以内でちょこっと連絡できるツールはあります。
もちろん、完全に電波も電話も無いところにいた、ということであれば話は別です。
そういうことを言っている人には、「トイレ行く時間も無かったですか?」「寝る時間も無かったですか?」「ご飯食べる時間も無かったですか?」「移動時間も無かったですか?」と小一時間問い詰めたいです。(時間のムダだからやらないけど)
恐らくあったはずです。
例えば通勤中、連絡よりもFacebookを優先した、だけということです。
優先度が低かったので連絡しなかった、だけです。
大事な人が事故に遭って、という連絡が入ったらどんなに「忙しい」状況であれ、すぐに連絡するはずです。
「忙しい」から「連絡できなかった」のではなく、「あなたへ連絡することよりも他のすべてのほうが優先度が高かった」ので「連絡しなかった」のです。
「忙しい」は何かができなかった理由にはならず、ただ自分の限界を設定/叫んでいるだけで、イイことないんじゃないかと思うわけで。
小判鮫事業者にプライドは無いのか?
左は私から某社への出し値、右は某社からクライアントへの出し値。
(注)この仕事、手を動かすのは私だけです。
某社は連絡係なくらいで、特にお金が発生するような動きはしません。
あと、クライアント出しの金額含め、資料はプレゼン時が初見で、私には配布無し。
プランA:60→200
プランB:80→240
プランC:270→560
プランD:320→920
クライアントの反応が鈍かったので、きっと無しになると思う。
よっぽど言ってやろうかと思った、私と直なら1/3で出来ますよ、って。
そして今後一切某社とは協業することは無いだろう。
小判鮫にまでなって事業を続ける意味は何なんだろう。