taiChinの自由帳

30代、1児の父、2014年に脱サラ独立。言いたいことを言うブログ。

相手を「信用し、大事に思うこと」と「期待すること」について

誰かに対して怒ってしまった時の根本的な理由として、「相手に対し、勝手に期待し過ぎてしまったからだろうな」と思うことがあります。

 

相手を信用しているがために、「きっと彼(彼女)は○○してくれる(言ってくれる)だろう」という期待をしているのだと思います。

 

なので、期待通りの反応が得られなかった際は、「なんで?」と思うと同時にストレスとなり、怒ってしまう、と。

 

じゃあ期待しなければいいのでは?となるのですが、それは嫌で。

 

なぜか。

 

それは、「自分が相手を信用している」ということを否定したくないから、なんじゃないかなと。

 

事実、自分はまだ相手を信用しているし、どこかできっと「本当は、、、」とまだ期待もしていて。

 

でもそれって詰まるところ「相手を信用している自分」を捨てきれない、という場合もあるんじゃないかなと。

 

相手のことを信用し大事に思っていることと、期待するということとを切り離すことができないというか。

 

で、その後に待っているのは、そこからもうその相手に期待することをやめるか、引き続き期待し続けるか、どちらが双方にとって良いか、その判断のタイミングも含め。

 

ただ、期待するのをやめる、と言っても別にじゃあそのあとは信用しなくなるとか、大事じゃなくなるとか、必ずしもそれらすべて正負合致していなければいけないかというと、そういうわけではないと思っていて。

 

信用してるし大事だけど、期待はしない。

無償の愛?とも少し違うけど(親子のそれと比べると、という話)、雰囲気的には同じグループで、親子とか血の繋がりがあるバージョンではなく、友人知人バージョン。

 

まぁ、「彼(彼女)はそういう人なんだな」と表面的に思うことは簡単でも、その後付き合っていく中で、「信用&大事」と「期待しない」をどう自分が腹落ちし、共存させていけるのか、と。

 

まだまだ未熟だなーと感じるとともに、示唆に富み、学び多き出来事だったなと思い、本エントリーを書きなぐり、就寝へ。